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選手列伝vol.27 古木克明 41

選手列伝vol.27 古木克明 41

①名前
:古木 克明(ふるき かつあき  )
②生年月日
:1980年11月10日
③経歴
:豊田大谷高校ー横浜(98年D1位)ーオリックスー格闘家
④在籍期間
:99年〜07年
⑤守備&投打
:内野手 右投左打
⑥主なタイトル
⑦愛称
⑧その他
:「打てば万永、守れば古木」(どうしようもない選手のたとえ)


~思い出~

1998年、横浜ファンにとって忘れる事のできない熱狂の年。甲子園では松坂大輔が優勝をノーヒットノーランで飾る伝説の決勝戦が行われる。98年のスポーツ界は箱根駅伝の優勝、フリューゲルスの天皇杯優勝、関学大のラグビー優勝、都市対抗野球では日産自動車が優勝、まさに横浜の年でした。

その98年のドラフト、なんと松坂大輔の意中の球団は横浜だというウワサが・・・(実際に松坂はドラフト後に「意中の球団は横浜でした」と答えていた。ドラフトの指名が終わるまではいっさい希望球団は口にしていなかった←彼のこの姿勢は大好きである)。そして3球団競合でくじ引きの結果、西武が交渉権を引き当てるのである。これが暗黒時代の幕開けです。

松坂の外れ1位として指名したのがこの古木である。古木はダイエーを希望しており当初入団に難色を示すが、なんとか入団にこぎつける。後日談だが小学校の文集で、絶対行きたくない球団として大洋、ロッテの2球団をあげていた事がトリビアの泉で判明する。

強打の大型内野手として期待を背負った古木は、02年のシーズン終盤に1軍に昇格すると、わずか1ヶ月半ほどの出場で打率.320本塁打9本の好成績を残し、和製大砲の片鱗を見せ始める。翌年のキャンプでは、あの長嶋茂雄が直々にサードの守備をレクチャーするほど(今思えばこれがあまりよくなかったのかもしれない)球界の期待を背負っていた。

そしてむかえた03年のシーズン。古木は打率.208 本塁打22 打点33 三振131 失策20という伝説的な数字を残すのである。特筆すべきはやはり本塁打22に対する打点33という驚異的な打点の低さである。得点圏打率は.121でホームランはほとんどがソロなのである。ランナーを背負っていない時や、点差のある時は相手投手も相当気を抜いて投げていたと思われる数字である。次に三振数であるが、この年の1位はタイロン・ウッズで三振数132、わずかに1差である上、古木は規定打席数に到達していないのである。さらにシーズン失策20はプロ野球記録である(2015年現在)。

村瀬秀信氏の著書「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」によると、古木は非常に素直で真面目な性格だったそうです。いろいろな人からのアドバイスを全部受け止めているうちに、ワケが解らなくなってしまったようです。一方の村田はアドバイスは聞くが、合う合わないを上手く使い分けていたそうです。守備に関しては、打撃の才能が早く開花しすぎて、ファームで十分に守備力を鍛える間もなく上に呼ばれてしまったゆえの悲劇だったそうです(もうひとつフォローするとドライアイも原因であった)。
古木の人間性を物語るエピソードがあります。球団にトレードを志願していた頃、立ち寄ったガソリンスタンドの店員がベイスターズファンで、その店員の「古木行かないで!」の声で移籍を思いとどまったそうです。なんていいヤツだ(涙)。
他には、チームの大先輩である石井朗に宛てた年賀状の宛名が石井朗になっていたり、5月4日にお立ち台で「こどもの日に打てたのが凄く嬉しい」というコメントを残す等、ツッコミどころ満載の愛すべき人物であります。

その後結局トレードでオリックスに移籍するが、そこでも才能は開花せず引退・・・と思いきや、今度は総合格闘家に転身する。古木の日本人離れした体格と筋力には、かねてより格闘界も注目していたそうです。格闘家として生まれ変わった古木はアンディ・オロゴンらと死闘を繰り広げるが早々に引退。現在は宮城県でアスリートとして復興支援活動を行っているそうです。
優しくて(多分)いいヤツなので、良い方面に進んだのではないでしょうか。今後の活動に期待します!





 

2015-03-17 12:28:10

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