岡山県井原市岩倉町340-1
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~思い出~ マシンガン打線の5番打者。鉄壁の守備と安定した打力、満塁時の異常なほどの無双ぶりで優勝に大きく貢献。 FA制度元年の94年にFAで横浜に移籍、球団発のFA獲得選手となる。当時巨人でレギュラーで活躍していたが、巨人は93年のオフにFAで落合博満を獲得。落合とは同じ一塁手、出場機会の激減が懸念された駒田は苦渋の決断でFA権を公使することになる。 一方93年の横浜では、高木豊・屋鋪要・山崎賢一・大門和彦・松本豊・市川和正のベテラン6選手の大量リストラが行われています。これには賛否両論ありました。結果的にはチームの若返りを成功させています。一方では、ベテラン、功労者に冷たい球団だというイメージが定着してしまいました。(後の石井琢朗、佐伯貴弘、谷繁元信らの退団にも通じます) ファンの心情を一番逆撫でしたのは、6選手の年俸≒駒田のFA移籍費用だったという偶然とは思えない事実でした。 僕はジャイアンツが大嫌いです。当然ジャイアンツの選手も大嫌いです。駒田も大嫌いでした。 しかし駒田が移籍してきた時の気持ちは、「えっ!あの駒田が来るの?(来てくれるの?)」だったのをハッキリ覚えています。 大嫌いだった選手が戦力として来るとなった時感じたのは、意外にも頼もしさと期待と嬉しさでした。後に、仁志敏久や工藤公康などの大物が巨人から移籍してきた時も、この時と同じ気持ちになりました。 巨人時代の成績に比べたら、正直少し物足りない感じはしましたが、若い選手ばかりのチームの中でのベテラン駒田の存在は大きかったし、駒田なくして優勝もなかったと思います。 横浜で2000本安打を達成したのも凄く嬉しかったです。この源になったのが、ケガの少ない体でした。 名前にも「馬」が入っている上に、誰が見ても「馬づら」であったので、当時の解説者は口をそろえて「無事これ名馬なり」という賛辞をおくっていました。
2015-01-09 12:21:39
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