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選手列伝vol.34 ウッズ 48

①名前
:T・ウッズ (タイロン・ウッズ  )
②生年月日
:1969年8月19日
③経歴
:ヘルナンド高校ーOBベアーズー横浜ー中日
 
④在籍期間
:03年〜04年
⑤守備&投打
:内野手 右投右打
⑥主なタイトル
:本塁打王(3回),打点王,MVP,Gグラブ賞,ベストナイン3回
⑦愛称
⑧その他
:タイガーじゃないよタイロンだよ


~思い出~

球史に残るパワーヒッター「ミスター場外」の異名も持つ。TBS暗黒時代の中で獲得した優良助っ人。
韓国プロ野球で本塁打と打点の二冠王を獲得したのち、パワーヒッターの触れ込みで入団するも契約金は5000万円で、助っ人のランクとしては並の扱いでした。それよりも同期入団の助っ人スティーブ・コックスの方が大物で期待も大きかった。

2015-04-19 10:04:29

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選手列伝vol.33 クルーン 47

①名前
:クルーン (マーク・クルーン  )
②生年月日
:1973年4月2日
③経歴
:シャドーマウンテン高校ーパドレスーレッズーロッキーズー横浜ー巨人
 
④在籍期間
:05年〜07年
⑤守備&投打
:投手 右投右打
⑥主なタイトル
:最多セーブ
⑦愛称
⑧その他
:162km/hの速球王!


~思い出~

球速の日本記録を塗り替えた速球派のクローザー。2015年現在プロ野球公式記録はクルーンと大谷翔平が記録した162km/hが最速である。この160km超えの剛速球と150km台のスプリットで3年間横浜のクローザーを務める。トレードマークはコーン・ロウのヘアスタイル。
投球スタイルはこの手のピッチャーにありがちな荒れ球で、コントロールは悪いが球威で押さえ込むタイプです。そのため四死球、暴投が多く、ヒヤヒヤする場面も多かったです。

振り返って成績をみるとクローザーとしての成績は優秀と言えます。しかし全盛期の佐々木主浩を知る僕にとっては、当時のクルーンは不安定だった印象が強い。印象に残っているのは成績よりもやはり球速です。
当時は今よりもテレビ中継が多かったので、テレビでクルーンを観る機会も結構あった。そして「今日こそ出るか160km」みたいな期待感でテレビを観ていたのを覚えています。そして悲しいかなペナントレースから早々に脱落した横浜には、これしか話題が無かった・・・

入来祐作による自伝「用具係 入来祐作」にも、クルーンはチラッと登場している。入来が渡米してマイナーリーグ生活を送っている時に、友人の選手がクルーンを指差して「あいつは100マイルのストレートを投げれる。だけどコントロールが悪い、だからメジャーに上がれないんだ」、「あいつは来年日本でプレーするのが決まっている」と入来に教えていた。なかなか面白いエピソードである。

当時の安いだけでポンコツばかりの助っ人の中では、彼は大当たりの助っ人でした。佐々木を「ササキサン」と常に尊敬し、ファンサービスを大切にする人間性もあってファンからも愛されていました。格好よかったし。
しかし、当然の流れなのだが、活躍すると「年俸が高騰」→「球団がお金を払えない」→「他球団に強奪」というお決まりのルートに乗って巨人に強奪される。そしてチームはより深い底に沈んでいくのである・・・

TBS暗黒時代の中にあっては、記憶に残る助っ人で今でも好きな選手です。始球式に来ないかな?

2015-04-18 14:35:00

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選手列伝vol.32 シーツ 46

①名前
:シーツ (ラリー・シーツ  )
②生年月日
:1959年12月6日
③経歴
:イースタンナノメイト大学ーオリオールズータイガースー大洋ーマリナーズ
 
④在籍期間
:92年
⑤守備&投打
:外野手・一塁手 右投左打
⑥主なタイトル
:ベストナイン,打点王
⑦愛称
⑧その他
:牛込スカウトの凄み!


~思い出~

さほど衰えていなかったのに「ホームランが少ないから」という理由でパチョレックを解雇して連れてきたのがこのシーツ。
解雇したパチョレックが阪神に行ってエライ目に遭わされるのは置いといて、優良なパチョレック以上の成績を残すところはさすが牛込スカウトの慧眼!
当時はの僕は「イタリアンリーグから連れてきた」という情報しか知らなかったので、「なんでイタリア?大丈夫か?」と思っていたのを覚えています。実はオリオールズ時代に3割30本を打っていた実績のあるメジャーリーガーで、牛込さんはずっと目をつけていたそうです。契約でモメてイタリアに行ったところに声をかけて契約に至ったという経緯を後で知りました。インターネットも無い時代にすごい情報収集力です、牛込スカウトは本当に優秀!

プレースタイルは典型的な「助っ人タイプ」。打つのは打つけど鈍重で走塁・守備は目をつむる感じのパワーヒッター、そして大洋の助っ人には標準装備のヒゲ。オープンスタンスの打撃フォームは今も目に焼き付いています。一年間だけの在籍でしたが、打率.308 HR26 打点100という好成績を残します。足は遅くて守備はザル、1つだけ盗塁を記録していますが「シーツ・・走りましたね・・」と実況が驚いていたのを覚えています。

当時の打線でまともに打っていたのは高木豊くらいで、2年目のレイノルズもこの年は成績を落としていた。石井琢朗や進藤達哉はまだまだ駆け出しで、宮里太、清水義之、山崎賢一、長内孝、畠山準ら小粒な選手ばかり。シーツはまさに孤軍奮闘しているイメージでした。
当然残留するものと思っていたら、あっさり解雇。「なんで!?」と驚いたのを覚えていますが、どうやら契約で折り合いがつかなかったとの後日談です。
それでも翌年に獲ってきた助っ人はローズ&ブラッグスの球団史上最強コンビ!本当に牛込さんは凄かった!
そしてローズとブラッグスを最後に牛込さんは退団しますが、そのいきさつはよく知りません。円満なのか何かあったのか?

牛込さんの退団以後の助っ人は、ことごとく外れ!スコット、シュワーズ、キャンベル、ターマン、セルビー、マラベ、メローニ、ドスター、ズーバー、グラン、ロドリゲス、サンダース・・・・あと30人くらいかな?
当たりといえるのはウッズとクルーンくらいでスカばっかり!なんで牛込さんやめちゃったのかな?

 

2015-04-12 10:01:51

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選手列伝vol.31 レイノルズ45

①名前
:レイノルズ (ロバート・レイノルズ  )
②生年月日
:1960年4月19日
③経歴
:サクラメント市立大学ードジャースーパイレーツー大洋ー近鉄
④在籍期間
:91年〜92年
⑤守備&投打
:外野手 右投両打
⑥主なタイトル
:ベストナイン,Gグラブ賞
⑦愛称
:RJ
⑧その他
:スマートで格好良かった


~思い出~

牛込スカウトの目利きによるホエールズ晩年の助っ人。当時は珍しい俊足・強肩・好守のスピードタイプの助っ人でした。大洋の助っ人らしい口ヒゲとサイドを刈り上げた精悍な髪型が印象的なスタイリッシュで格好良い選手でした。アンダーストッキングをズボンで隠す着こなしを日本で流行らせたのも彼です。

タイプ的には3番バッターですが、パチョレックが不振になると4番に座ることもありました。11打席連続安打の日本記録保持者(2015年現在)でもあります。

スイッチヒッターでありながら、左投手には滅法弱く、右打席と左打席の成績が極端に違っていました。悩んだあげく左投手の時も右打席に入ることもありました。
1年目は好成績でしたが、2年目は振るわずに解雇されます。その後近鉄に移籍してそこそこ活躍した記憶があります。

成績よりも格好良さで記憶に強く残っている助っ人です。始球式とか呼ばれないかな?

2015-04-12 09:44:01

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選手列伝vol.30 パチョレック 44

①名前
:パチョレック (ジェームズ・パチョレック  )
②生年月日
:1960年6月7日
③経歴
:ミシガン大学ーブルワーズー大洋ー阪神
④在籍期間
:88年〜91年
⑤守備&投打
:内・外野手 右投右打
⑥主なタイトル
:首位打者,ベストナイン(3回),Gグラブ賞
⑦愛称
:パチョ("パッキー"は認めん!)
⑧その他
:放出したら痛い目に・・・


~思い出~

古き良きホエールズ時代を代表する優良助っ人。真面目で紳士な安打製造機でポンセとのコンビは破壊力抜群でした。
スカウトしたのはもちろん「神の鑑定眼」牛込惟浩氏。
典型的なアベレージヒッターで首位打者にも輝く。勝負強い打撃でポンセの後を打つ5番バッターとしては適任でした。

ポンセが衰えた後は、マイヤーやレイノルズとコンビを組みます。マイヤーはそこそこ打つけど足が死ぬほど遅くて守備がザルだったのでクビ、レイノルズは俊足の中距離ヒッター。当時助っ人=3割30本というイメージが根付いており、パチョレックは「ホームランが少ないから」という理由でクビになってしまいます。
ホームランこそ15本前後ですが、打率.300〜330、打点80前後の数字をコンスタントに残せる優良助っ人パチョレック。当然他球団の目にとまり、阪神が獲得します。

阪神移籍後はオマリー&パッキーの愛称で親しまれ、亀山&新庄フィーバーも乗っかって阪神暗黒時代脱出に一役買います。古巣相手に容赦ない打撃を見舞ってくれました(;ω;)

「同一リーグに優秀な助っ人を獲られると大変なことになる」という教訓を与えてくれました。
後に中日に移籍したタイロン・ウッズがこの教訓を再び実行することになります。←コレはお金が無かったからしょうがないけどね・・・「ノーマネー?、ノータイロン!」悲しい思い出・・・



 

2015-04-01 16:09:36

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選手列伝vol.29 井納翔一 43

①名前
:井納 翔一 (いのう しょういち  )
②生年月日
:1986年5月1日
③経歴
:木更津総合高校ー上武大学ーNTT東日本ー横浜(12年D3位)
④在籍期間
:13年〜
⑤守備&投打
:投手 右投右打
⑥主なタイトル
⑦愛称
:ハマの宇宙人
⑧その他
:小島瑠璃子大好き


~思い出~

スリークウォーターから150kmのストレート、そこそこ落ちるスプリット、そこそこ曲がるスライダー、ゆる〜いカーブを駆使する右腕。2年目の2014年に11勝をあげ、ローテーションの柱に成長する。

1年目のシーズンは不安定な投球だったが、先発陣が崩壊していたチーム事情もありそこそこ登板機会を与えられる。結果5勝7敗というルーキーとしてはまずまずの成績をのこすのだが、防御率は5点台・・・。どちらかというと同期ドラフト2位の三嶋方が期待の持てる内容でした。
その評価通り2014年、三嶋は開幕投手を務めるのだが、開幕から大炎上が続きほぼ2軍で暮らす事になる。しかし井納は開幕から別人のような活躍をし、5月には4勝0敗1完封で月間MVPに輝き、5月終了時で7勝(佐々木主浩以来22年ぶりの快挙)をあげ、7月25日には両リーグ最速で10勝目をあげる(野村弘樹以来21年ぶり)。ここまでは最高!エース到来か!と思わせてくれました。
しかしシーズン終わってみれば11勝9敗防御率も4点台、井納クオリティで終わりました。CS争いの最中に1勝しかできなかったのは残念!エースの称号はまだやれないな。

井納は不思議な言動をすることでも知られ、あだ名は「ハマの宇宙人」。他に「宇宙人」と呼ばれる選手は新庄剛志(元阪神)や糸井嘉男(現オリックス)らが有名ですが、一般人とは違う思考回路を持った人のようです。
ただ、不思議な言動とは裏腹に、野球に対しては非常に真摯で熱いものを持っている(らしい)ため、ストイックな変態野球バカの久保康友をして「井納の野球脳は凄い」と言わしめたとかしないとか。

エースと呼ばれる成績を期待している一人ですが、エースと呼ぶには顔がな〜・・・・もうひとつ。

 

2015-04-01 13:05:14

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選手列伝vol.28 内川聖一 42

①名前
:内川 聖一 (うちかわ せいいち  )
②生年月日
:1980年11月10日
③経歴
:大分工業高校ー横浜(00年D1位)ーソフトバンク
④在籍期間
:01年〜10年
⑤守備&投打
:内野手→外野手 右投右打
⑥主なタイトル
:首位打者(2回),最多安打(2回),MVP,ベストナイン(5回)
⑦愛称
:アゴ、チック
⑧その他
:名言「横浜を出る喜び」


~思い出~

2000年のドラフト1位、高校時代はよく知らなかったので、指名した時は「内川?誰それ?」でした。調べてみると踵に骨嚢腫という持病があって広島は1位指名を回避したらしい・・故障持ちを差し引いても逸材らしいけど大丈夫か?と思った記憶があります。

高校生ドラ1野手は当たり外れが大きいのですが、内川は大当たりでした。2008年には打率.378でセ・リーグ最高記録、また右打者としてはプロ野球最高記録を残すと、以後2014年まで7年連続3割以上を記録(現在も継続中)するなど球界を代表する選手に成長しました。
しかし時代は横浜暗黒時代・・・内川・村田が打てども打てども崩壊した投手陣には焼け石に水、勝てないチームに愛想を尽かして2010年のオフにFA権を行使してソフトバンクに移籍する・・・・とここまでは普通にある悲しい話。
しかし!ここからが内川がチックと呼ばれるようになる本領を発揮するのである。

まず用語の説明をしますが、ネットの実況掲示板「なんJ」では、神のような素晴らしい人を「聖人」と呼び、その対義語として行いの鬼畜な人を「畜生」という呼び方をします。そして「ぐうの音もでないほどの聖人」という意味で「ぐう聖」、「ぐうの音もでないほどの畜生」という意味で「ぐう畜」という言葉があります。
「ぐう聖」の代表として三浦大輔(当ブログ三浦大輔の項参照)、黒田博樹(説明不要!)らが有名です。稲葉篤紀も入れたいけどプライベートが・・なので除外。
さて一方の「ぐう畜」として有名なのが、この内川です。他には広島から阪神にFA移籍した新井貴浩(現広島)や日ハムから巨人に移籍した小笠原道大(現中日)らが有名です。
内川は横浜を見限っただけでなく、移籍先で事あるごとに古巣を叩く発言をするのである。
「僕自身横浜を出る喜びもあった」「何も緊張感のないところ(横浜)で戦うよりも、こういうところ(ソフトバンク)でプレーすることにやりがいを感じる」等です。
チームがまともになりつつある今なら、叱咤激励、愛のムチととらえられなくもないですが、当時の暗黒時代の真っ最中の横浜ファンにとっては死人に鞭打つ行為であったのは間違いない。これより「内川聖一」→「内川畜一」→チックと呼ばれるようになる。

不幸中の幸いなのが、パ・リーグにいる事。交流戦以外はいくら打とうが害がないため、活躍を温かく見守れます。村田は違うけどね!
個人的にはネットで叩かれているほど嫌いじゃないです。
ただ、内川・梶谷・筒香の外野陣や彼らで構成する打線を見たかった(涙)。

いつかは戻ってきて欲しい選手です。



 

2015-03-25 19:47:36

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選手列伝vol.27 古木克明 41

①名前
:古木 克明(ふるき かつあき  )
②生年月日
:1980年11月10日
③経歴
:豊田大谷高校ー横浜(98年D1位)ーオリックスー格闘家
④在籍期間
:99年〜07年
⑤守備&投打
:内野手 右投左打
⑥主なタイトル
⑦愛称
⑧その他
:「打てば万永、守れば古木」(どうしようもない選手のたとえ)


~思い出~

1998年、横浜ファンにとって忘れる事のできない熱狂の年。甲子園では松坂大輔が優勝をノーヒットノーランで飾る伝説の決勝戦が行われる。98年のスポーツ界は箱根駅伝の優勝、フリューゲルスの天皇杯優勝、関学大のラグビー優勝、都市対抗野球では日産自動車が優勝、まさに横浜の年でした。

その98年のドラフト、なんと松坂大輔の意中の球団は横浜だというウワサが・・・(実際に松坂はドラフト後に「意中の球団は横浜でした」と答えていた。ドラフトの指名が終わるまではいっさい希望球団は口にしていなかった←彼のこの姿勢は大好きである)。そして3球団競合でくじ引きの結果、西武が交渉権を引き当てるのである。これが暗黒時代の幕開けです。

松坂の外れ1位として指名したのがこの古木である。古木はダイエーを希望しており当初入団に難色を示すが、なんとか入団にこぎつける。後日談だが小学校の文集で、絶対行きたくない球団として大洋、ロッテの2球団をあげていた事がトリビアの泉で判明する。

強打の大型内野手として期待を背負った古木は、02年のシーズン終盤に1軍に昇格すると、わずか1ヶ月半ほどの出場で打率.320本塁打9本の好成績を残し、和製大砲の片鱗を見せ始める。翌年のキャンプでは、あの長嶋茂雄が直々にサードの守備をレクチャーするほど(今思えばこれがあまりよくなかったのかもしれない)球界の期待を背負っていた。

そしてむかえた03年のシーズン。古木は打率.208 本塁打22 打点33 三振131 失策20という伝説的な数字を残すのである。特筆すべきはやはり本塁打22に対する打点33という驚異的な打点の低さである。得点圏打率は.121でホームランはほとんどがソロなのである。ランナーを背負っていない時や、点差のある時は相手投手も相当気を抜いて投げていたと思われる数字である。次に三振数であるが、この年の1位はタイロン・ウッズで三振数132、わずかに1差である上、古木は規定打席数に到達していないのである。さらにシーズン失策20はプロ野球記録である(2015年現在)。

村瀬秀信氏の著書「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」によると、古木は非常に素直で真面目な性格だったそうです。いろいろな人からのアドバイスを全部受け止めているうちに、ワケが解らなくなってしまったようです。一方の村田はアドバイスは聞くが、合う合わないを上手く使い分けていたそうです。守備に関しては、打撃の才能が早く開花しすぎて、ファームで十分に守備力を鍛える間もなく上に呼ばれてしまったゆえの悲劇だったそうです(もうひとつフォローするとドライアイも原因であった)。
古木の人間性を物語るエピソードがあります。球団にトレードを志願していた頃、立ち寄ったガソリンスタンドの店員がベイスターズファンで、その店員の「古木行かないで!」の声で移籍を思いとどまったそうです。なんていいヤツだ(涙)。
他には、チームの大先輩である石井朗に宛てた年賀状の宛名が石井朗になっていたり、5月4日にお立ち台で「こどもの日に打てたのが凄く嬉しい」というコメントを残す等、ツッコミどころ満載の愛すべき人物であります。

その後結局トレードでオリックスに移籍するが、そこでも才能は開花せず引退・・・と思いきや、今度は総合格闘家に転身する。古木の日本人離れした体格と筋力には、かねてより格闘界も注目していたそうです。格闘家として生まれ変わった古木はアンディ・オロゴンらと死闘を繰り広げるが早々に引退。現在は宮城県でアスリートとして復興支援活動を行っているそうです。
優しくて(多分)いいヤツなので、良い方面に進んだのではないでしょうか。今後の活動に期待します!





 

2015-03-17 12:28:10

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選手列伝vol.26 村田修一 40

①名前
:村田 修一(むらた しゅういち  )
②生年月日
:1980年12月28日
③経歴
:東福岡高校ー日本大学ー横浜(02年自由獲得枠)ー巨人
④在籍期間
:03年〜11年
⑤守備&投打
:内野手 右投右打
⑥主なタイトル
:本塁打王(2回),Gグラブ賞(2回),ベストナイン(3回)  (2014年現在)
⑦愛称
:漢(おとこ)村田、乙女(おとめ)村田
⑧その他
:引退試合クラッシャー


~思い出~

今は無き「自由獲得枠」制度で入団した大型内野手。トレードマークは長い襟足と変な髪型。
評価通りの活躍はしたと思うけど、11年オフにFA権公使でよりによって巨人に移籍してしまう。

球界屈指のパワーヒッター。横浜は伝統的に助っ人は優秀だった反面、和製大砲が育たず、ずーーーーっと不在でした。同時期にブレイクしつつあった古木克明との同級生コンビは、ファンに夢を見させてくれるハズでした・・・・

しかし古木守備のマズさと圧倒的な勝負弱さ(本塁打22本で打点37←改めてビックリだわ)でドロップアウト。結局村田が4番に定着して打線を牽引する事になる。(まあ古木については彼の項目でタップリと)
06〜08年は3年間連続で30本100打点、08年にいたっては打率.325 46本塁打 114打点と3冠王もあり得る成績を残している。(ここがピークです)

球界屈指の巧打者、内川聖一と村田の存在は、低迷するチームにあって唯一の光明でしたが、10年に内川・11年に村田と相次いでFAで流出してしまう。三浦大輔は優勝に飢えた彼らの気持ちが痛いほど理解できたので、慰留する事をためらったそうです。
そして彼らはそれぞれの移籍先で優勝の美酒を味わう事になる。
近頃は、楽天に行った藤田・中日に行った谷繁・阪神に行った鶴岡など、トレード・FA・人的補償など経緯は違うが、みな優勝を経験しており、元横浜の肩書きが優勝のジンクスになりつつある

巨人に行ってからの村田は、はっきり言ってキライです。キライな球団にFAで出て行ったのだから当然。もう少し男気のある奴だと思っていたんだけど・・・
近年の村田は、哀愁が漂ってますね。芸術的な併殺打、懲罰的な代打交代や打順降格。毎年1回は頭を丸めて反省してるイメージです。原監督の当たりも厳しいですね。
そんな悲しそうな村田を見るのが楽しくて仕方ないww

でも帰って来たら優しくするけどね!

そして忘れてはならないのは、彼が「引退試合クラッシャー」であるという事!
鈴木健・佐々岡真司・矢野輝弘・英智の引退試合に出場するが、その通算成績は打率.467 5本塁打という鬼畜ぶり。
なかでも有名なのは佐々岡真司投手(広島)の引退試合。カウント3−1から投じた球を見事にスタンドイン「空気読めよ!」の罵声を浴びつつダイヤモンドを泣きながら1周し、佐々岡に泣いて謝罪する。佐々岡は「真剣勝負してくれてありがとう」という優しい言葉を村田にかける(上の画像です)。思い出しても泣ける!

ちなみにこの試合のスコアは 広島10ー1横浜 でした。








 

2015-03-06 23:27:35

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選手列伝vol.25 吉見祐治 36

①名前
:吉見 祐治(よしみ ゆうじ  )
②生年月日
:1978年5月21日
③経歴
:星林高校ー東北福祉大学ー横浜(00年D2位)ーロッテー阪神
④在籍期間
:01年〜10年
⑤守備&投打
:投手 左投左打
⑥主なタイトル
⑦愛称
:ハマの主砲(注:ピッチャーです)
⑧その他
:不世出の天才バッター!(注:ピッチャーです)


~思い出~

「バッティングの上手い投手は?」と聞かれると、桑田真澄、前田健太らの名前が上がります(大谷君は別格なので除外!)、しかしコアな野球ファンならこの吉見を推す方が多いはず!
通算打率は2割2分8厘(桑田真澄は2割1分6厘)、シーズン後半でも2割7分くらい打ってた年もあったような・・
本塁打はないが内角打ちが上手く、下手な野手以上でフォームも美しい。画像は広島のエースだったコルビー・ルイスの内角スライダーをみごとに打ち返した名場面。
緊迫した投手戦でも、自らのバットで勝利打点をたたき出して投げ勝つ試合もありました。

さて肝心のピッチング。2年目に11勝をあげてヤクルトの石川雅規と新人王を争う。しかしそれ以外は正直パッとしません。しかし当時の横浜投手陣は崩壊状態だったチーム事情と、吉見の「ひどすぎない程度の成績と年に1〜2回の神ピッチング」が彼の打者転向を踏みとどまらせてしまいます。

彼の投球スタイルは、「とにかく球が飛ぶ」です。被本塁打が非常に多く、「飛ぶボール」ならぬ「飛ぶ投手」などとも言われていました。「打っても投げても安打製造機」とは良く言ったものです。そして彼の登板する試合は、激しい打ち合いの乱打戦(バカ試合とも呼ばれる)になる事が多い。それだけにとどまらず、他球場の試合までもが乱打戦になるという「吉見ワールド」を発揮するのである。

2010年のシーズン中に金銭トレードでロッテに移籍します。投手が打席に立つ事がないパ・リーグへの移籍によって吉見のバッティングを見る事が出来なくなってしまう事を嘆いたファンも多かったとか。
そして交流戦で横浜対ロッテのマウンドに立ったのは、吉見。古巣相手に容赦ないピッチングであっさりひねられたのは、強く記憶に残っている。

2013年にロッテを戦力外になった吉見は、2014年から阪神に移籍するも1軍登板がないまま同年引退。
しかし!2015年からはベイスターズの打撃投手に就任!どういう形であっても吉見が帰って来てくれたのは手放しで嬉しい!
一部のファンからは「打撃コーチの間違いじゃないの?」「打撃もする投手って事だよな?」などというささやきもww

吉見選手、お疲れ様でした。






 

2015-02-16 18:58:38

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